Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエフスキーとコナン・ドイルに共通する創作原理 (2024.9.20)
下原康子
ドストエフスキーとコナン・ドイル。二人の作家の現実及び人間に対する観察と認識の方法は似ています。ドストエフスキーは「作家の日記」の中で、コナン・ドイルは、「同一事件」という作品の中でシャーロック・ホームズの口を借りてそのことを説明しています。強調されているのは、一見ぱっとしない出来事であっても、細部に目をやれば、そこに潜む不自然さや奇妙さを見出すことができるということです。事件の真相や人間の真実というものは、そうやって深く掘り下げて見ないかぎり、その中に隠された意味や真実を見出すことは決してできない、現実認識と人間理解のためにも、またそれらを表現するためにも独自の視点、洞察力、想像力が必要で、それこそが芸術的かつ創造的な才能であると語っています。
「作家の日記」1876年10月
(米川正夫訳ドストエーフスキイ全集11)「作家の日記」1876年10月(米川正夫訳ドストエーフスキイ全集11)
まったく、現実生活のうちから、一見たいしてぱっとしないような事実を捉えて注視してみると、その当人に能力と目さえあれば、シェイクスピアにもないような深さをその中に見だすであろう。しかし、問題は、──だれがその眼識を持ち、だれがその実力を有するかにあるのだ。なにしろ、芸術作品を創造して書くどころか、単に事実を認識するのにさえ、一種の芸術家であることが必要なのである。ある観察者にとっては、人生のあらゆる現象はまことにしおらしい単純さの中に過ぎていって、考えることもなければ、見る価値もないほどわかりきっている。どころが、別の観察者は、どうかすると、それと同じ現象に心を愉しまし、はては、(よくあることだが)、それを普遍化し単純化し、直線に引き伸ばして、それで安心するだけの力がなく、別な種類の単純化に訴え、自分の悩み抜いた心をあらゆる問題といっしょに、きれいさっぱり消滅させるために手っ取り早く自分の額にに弾丸を打ち込むくらいである。これは単に両極端を例に引いたにすぎないが、しかしその中間に人間的、実在的意義の全部が含まれているのである。とはいえ、われわれはとうていあらゆる現象を汲みつくし、その根源と結末まできわめることができないもちろんである。われわれに知りえることは、ただ生活に交渉のある、目に見える現在の象(すがた)のみで、しかもそれさえ皮相の見方いすぎず、根源と結末にいたっては、いまだ目下のところ、人間にとって幻想的なものなのである。
同一事件 A CASE OF IDENTITY
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle
加藤朝鳥訳 大久保ゆう改訳
「いいかね。」とシャーロック・ホームズは、ベイカー街の下宿でふたり暖炉を囲み、向き合っているときに言い出した。「現実とは、人の頭の生み出す何物よりも、限りなく奇妙なものなのだ。我々は、ありようが実に普通極まりないものを、真面目に取り合おうとはしない。しかしその者たちが手を繋いで窓から飛び立ち、この大都会を旋回して、そっと屋根を外し、なかを覗いてみれば、起こっているのは奇怪なること――そう、妙に同時多発する事象、謀りごとにせめぎ合い、数々の出来事が不思議にもつながり合って、時を越えてうごめき、途轍もない決着を見せるとなれば、いかなる作り話も月並みなもので、見え透いた結びがあるだけの在り来たりの無益なものとなろう。」
「そうはいっても納得しかねるね。」と私は答える。「新聞紙上で明るみに出る事実なんて、大抵が実にそっけなく実に卑しい。モノを見てもだ、警察の調書などでは写実主義が限界まで貫かれているにもかかわらず、出来上がるものにはまったくのところ、魅力もなければ芸もない。」
「それなりの取捨選択を用いねば真実味は生み出し得ない。」とはホームズの御説だ。「これが警察の調書には欠けている。ことによると細部よりも治安判事の戯れ言に重点を置く。細部にこそ、観察に値する事件全体の核心が含まれている。信じていい、普通なるものほど不自然なことはない。」
私は笑みを漏らし首を振って、「君がそう考えるのもわからないではないよ。そら君の立場としては、三大陸じゅうにいる考えあぐねた人々、その皆の私的相談屋・お助け屋であるわけだから、奇妙奇天烈なあらゆることに関わり合う羽目にもなる。しかしまあ、」――と床から朝刊を取り上げて――「ここらで実地に試してみよう。とりあえず目に付いた見出しはこうだ。『妻に対する夫の虐待』、段の半分にわたる記事だが読まんでもわかる。まったくよくある話に決まってる。ほら、他に女が居て、酒に喧嘩、薬に生傷、世話焼きな妹か女家主。いくらヘボ文士でも、これほどヘボなものは書けんよ。」
「ふむ、この例は君の説に不適切だ。」とホームズは新聞を取り上げ、目を落としながら言う。「これはダンダス夫妻の別居訴訟と言って、あいにく僕もこの件の謎解きに少しばかり噛んでいる。この夫はまったく酒を飲まず、他に女もいない。訴えられた行状というのが、食事の終わるたび入れ歯を外して妻に投げつける、そんなふうにずるずるとなっていったというものだ。わかるだろう、これは凡百の語り部の想像に浮かびそうな行為ではない。嗅煙草でもやりたまえ、博士、そして自分の引いた例でやりこめられたと認めることだ。」